【私は土俵の上ではうるさいが、外では誰にでも頭を下げれます。】
大阪場所が終わったので、お土産話を1つ…。
【私は土俵の上ではうるさいが、外では誰にでも頭を下げれます。】
某力士の言葉です。
私たちが議論の中で大事にしていくものとは
私が本当に正しい答えの道にいてるのかどうか?という事であります。今、自分が考えていることが本当に正しいのか?正解なのか?それを試したい。
もし、自分が間違っているならばそれを正したい。間違っているならそれが何か知りたい。
その力士は自分の方向性があっているのか?間違っているのか?こうした方がより良い❗️なんて事がわかれば嬉々としてその瞬間に取り入れておられました。
もしかしたら、いや、私が間違っているかもしれない。そんな前提の上で若手やスタッフ、私にも、どう思われますか?と、謙虚に意見をお聞きになられてました。
ああ、良かった。
このまま進んだ時の危険のタネが事前にわかった。このまま進んだ時、自分の方向性が本当に良いのか確認できた。そんな外から見ていただく事で。自分ではできない客観視では捉えれない情報を丁寧に受け止められていました。
私達は、自分の間違いを認めると自分が否定されると思いこんでいます。もう正しいことが何か。ではなく【相手に言い負かされないこと。相手を言い負かすこと。】という目的を「自分で選択」しています。自分でロボットのような反応として生きることを選択しているわけであります。
正しい回答とは、長い人生の中で大切な指針であります。
会社では、より売上を。より満足度を。
家庭では、より子どもたちに愛情を。健康を。まっすぐに育って欲しい。
と、大きなテーマを誰しもがお持ちになります。こういった大きなテーマでは誰しも賛成するでしょう。
しかし議論の場では、感情的な批判合戦になっていることなどを、多々目の当たりにします。自分自身も含め。それはまるで、決まったプログラムを繰り返すロボットのようであります。
私が間違っているかもしれない。
私が本当に正しい道にいているのだろうか?
・一つ得るには一つ手放すこと。
これは議論の場においても正しいと思います。
もし正しい結論を知りたいのなら「プライド」を捨てることであります。自分が敗けてもいい。本当に正しい結論を知りたい。
自分は負けてもいいから、正しい事を知りたい。表では一見負けたかのように見えますが、その柔らかさは裏では勝っております。
こういった勝ち方もあるんですね。
【私は土俵の上ではうるさいが、外では誰にでも頭を下げれます。】
土俵の上では死守しないといけないものがある。その代わり、外では自分自身のプライドを喜んで捨てます。そういった柔らかな心が、より人気に拍車をかけているのでしょう。
柔らかな生き方。
硬くなままな生き方。
私たちはいつでもこの選択肢を選んで日々生活しているわけであります。
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