時間と円周率①
今日も,よもやま話です。
何言ってんの?と感じられたらブワウザバック推奨です。
私たちが日々いかしていただいている中で時間の流れの不思議があります。
時間は流れるものという先入観や。
時間はやってくるものという先入観や。
施術に関しても今後どうなってどういうふうになっていくか?
という予測を時間軸の上でしていく面があります。
そういう意味では時間というものは何か?
個々が考察していく必要性があります。
それは間違いでも良いので自身で時間を何か?と考えるのも必要なスキルになるかも?しれません。
時間というのはパターンがありながらも
同じことの繰り返しのようにみえつつも
実際は同じことは二度とおきないようです。
一期一会という言葉があるように瞬間瞬間は全て違う縁が紡がれるかのごとくです。
時間の流れ=円周率 かもしれません。
ご存知の方も多いかと思いますが,円周率は同じパターンの数列は一切ありません。
次々と新規の数列が生まれ続けます。
似たような数列に見えるけれども一切同じものはない。
時の流れもこういった面があると同時に
似たようなパターンが存在するかもしれません。
数列の流れは時の流れのようにみえるかもしれません。
円周率の10ケタくらまではご存じな人も多いかもしれません。
それが例えば一兆ケタまでいった時は,スーパーコンピューターやAIの力が必要かもしれません。
コンピューターが産出するまでは私たちはその数値の並びは不明です。
わかりません。
量子物理学のシュレティンガーのネコと通じるところがあります。
確認するまでわからない。
みてみないとわからないということです。
どの数字が表れるかは完全な白紙です。
それは,決まっているのに決まっていない。
という矛盾しているけれども矛盾がないという対立を超えた世界観の香りもします。
禅のとある世界ではこの「まる」をいかに書くか?
という考案があるそうです。
それは時の流れを俯瞰する世界観がどこまで表現されているのか?
どういった境地にたどり着いているのか?
どういった心境なのか?
それを表現するためなのかは,私は存じ上げません。